好きな人を 思い出す夜は


大好きだった 人のことを想って
たくさん たくさん 泣く夜に。

むかし 好きだった 人のこと

「もう 死んでしまった」

なんて すっかり忘れてしまえたらいい。

薄暗い 小さな 森のような 場所を見ると
「大好きだった あの人が 歩いてくるんじゃないか」と
ぼうぜんと 立ち尽くす。

そのまま 目を閉じると
まだ わたしたちが 同じ世界にいた景色が フラッシュバック

自分を信じられない 若いわたしは
「大好きな人のことを とても愛している」
ということにさえ 気づいていなかった。

「なんて バカ な子」
「救いようのない 根性なし」

弱いわたしは
大好きな人の前に立つと
いつも 言葉が詰まって
いうべきことがなんなのか?

分からずに
つまらないことしか 口から出さない

そんな自分が 大嫌いで。

だけど それでも

目を合わせるだけで
時が止まったような 感覚になる

「そんな人がこの世にどれだけいるかって?」
考えてみたら すぐ分かることだ

「わたしはこの人を愛してる 」と。

どんどん 歳を重ねていく わたし
いつまでも 歳をとらない 大好きな人

あなたとの距離が どんどん遠く
離れてしまうことが ほんとうに寂しくて

ただただ わたしは
あなたが 歩いてくるかもしれない
薄暗い森を 思い描いて

静かに 静かに
涙の中に 堕ちて眠るだけ。

男はひたすら視覚のなかで生きている?

最近仲良くなった人に教えてもらった詩人・文月悠光さんのエッセイがたまげるくらい面白かったのでご紹介します。

 

一体なんなんだろう。この鋭い感性と表現力は。

女性詩人としてセクハラまがいの言葉を投げかけられる一方で、そのことに対する戸惑いや憤りを捉える覚めた視点。そして客観性。

若くして世にでる天才とはまさに彼女のような人のことを言うのだなと、その才能に感服してしまった。

文月さんの魅力をとりあえず誰かに伝えたかったわたしは、手始めに夫にこのエッセイのリンクを送りつけてみた。

 

するとこんな回答が。

 

『面白い。

プラトンは詩を最高の芸術と位置付けた。

グリーンバーグ(※近代美術の重要な批評家)はそんな詩に対して絵画を確固とした芸術として成り立たせようと奮闘した形跡がある。

物語と絵画を頑なに切り離そうとしたのには文学から脅かされる視覚芸術というユダヤ人としてのグリーンバーグの内的葛藤があったんだと思う。』


ふむ。なかなか興味深い返しだと思った。

そういえば芸大にいたころによく感じたのは、結構な数の学生が言葉に対してコンプレックスを抱えていたこと。

 

「わたしは言葉にできないものを絵にして表現しているんです!」

とか、

「絵を言葉で説明するのはナンセンスだ!」

という、頑なに絵と言葉を切り離したがる風潮というのはなかなか根深かった。

『絵は絵として独立した存在であり、そこに言葉は不要だ』という神話がまかり通っていたのである。


ちなみに、わたしはこの神話についてはかなり懐疑的だった。

絵画は観るだけで十分理解される、と作者がのたまったところで、鑑賞者であるわたしは全くその絵が理解できなかったから。


なのでわたしは、学生時代から自分の作品の解説に詩を引用したりと、割と積極的に言葉と親しんできた。

(だからこそ、いまもこうやって日々ブログを綴っていたり、接客業でお客さんとぺちゃくちゃとお喋りすることでお金を得られているわけで。
意外とすべてはつながっているんです。)


口下手であったり、人と言葉でコミュニケーションをうまくとれないコンプレックスのなかで育った人が、絵画という視覚芸術に傾倒することはよくあることだ。


だから少し乱暴な言い方をすれば、絵画とは『言葉でコミュニケーションを取ることができなかった弱者のための芸術』と捉えることもできる。

何と言っても、この世の中で最も普遍的に使われ続けているコミュニケーションツールは言葉なのだから。

言葉が拙ければ、コミュニティから疎外されてしまうことはどんな人にも起こりうる危機だ。


だからこそ、わたしは言葉を生業としている人には頭が上がらないというか、どこか表現者として敵わない、という劣等感がある。

それはまさに、グリーンバーグが感じていた危機感と同じなのではないだろうか?


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最後に、夫はもう1つこんな言葉をなげかけてきた。


『男は視覚の生き物だから絵画や写真の方が惹かれるんだよ。

視覚の中でひたすら生きている。』


男が全てそうであるわけはないと思うが、彼が想定している《男》というのはそういう生き物らしい。

 

この言葉を聞いて、ふと自分の恋愛遍歴を思った。

わたしはもともとバイセクシャルで、十代のころから男性とも女性とも肉体関係を自然ともっていた。

 

しかし、20歳のころから夫と結婚するまでは、男性のみと恋愛をすると決めて実行していた期間があった。

 

色々な男と寝てみるのも若いうちにできる貴重な経験だと思っていたから、言い寄ってくる男とはとりあえずセックスを試みた。

そして、わたしは男性に大いに失望した。

 

どいつもこいつも、わたしの外見しか見ていない。
わたしのどこが好きなのかと聞くと、顔が美しいとか、色が白いとか、体が綺麗だとか、そんなことしか言わないのだ。

たとえ短期間で肉体関係を持つようになるとしても、女性はこんなに無神経ではない。外見について褒めつつも、必ず内面も同じくらい褒めてくれる。

少なくとも、わたしが関係をもってきた女性はみんなそうだった。

(だから関係が終わってしまったあとでも、わたしは彼女たちが大好きだ。
その一方で、別れた男たちとはあまり会いたいとも思わない。この溝はなかなか深い。)


男は視覚的な生き物ゆえに、良かれと思った言葉で女性を虐げていることもあるのだ。

もてたい男性のみなさん、よかったらご参考に。

 

素晴らしい表現者が素晴らしい人格者になり得ない理由。

 

わたしは能鑑賞が大好きです。

でもこの趣味、同世代で共有できることがあまりない。ちょっと理解するには勉強が必要だし、エンタメとしては渋すぎることが問題なのかなあ…。

なので、能を一緒に観に行ってくれる友人か恋人がほしいと常々思っている。

 


要するに、知的で探究心があり過去の文化に敬意が払える人がいいのです。男でも女でも、性別は問いません。

知的で探究心があり過去の文化に敬意を払えるという意味では、わたしの夫はパーフェクト。すべて当てはまる稀有な存在の1人。

 

ただ、文化や作品に対する解釈は結構違う。
男女の感性の差もあるとは思うのだけど、例えば抽象表現主義の巨匠であるマーク・ロスコの解釈も、わたしたちはかなり違うの。

 

夫と会話をするなかで、
「なるほど、そんな解釈もあるのか。」
と、新しい発見ができるのはとても面白く、人間として成長するうえで大切な関係を築けていると思う。

それでも時々、
「言葉を交わさなくても、見つめ合っていればお互いの気持ちがわかる…」
みたいな、アホみたいに幼稚な恋愛願望が湧き出てくることがある。

夫とは、120パーセントくらいちゃんと言葉でコミュニケーションとらないと何も伝わらないから。ジレンマですね。


わたしは、
知的で探究心があり過去の文化に敬意を払えて、かつ素晴らしい表現者であれば、どんなに倫理観に問題があってもその人を好きになってしまう。

素晴らしい表現者が素晴らしい人格者であることはほとんどない。その矛盾が人間として美しいと思うからだ。


過去の歴史や文化を紐解けば紐解くほどに、現代の社会構造や倫理観に疑問を持たないではいられない。

そしてそれを社会にぶつける。それが表現者の仕事。

であるならば、素晴らしい表現者が倫理的に問題のある人物とされてしまうのは当然の流れなんだ。


自分の気持ちに従えば従うほど、生きづらい。

でもそのジレンマさえ美しい。

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わたしが過去に最も愛した人は、とても繊細で脆くて、人の気持ちがよく分かって、人当たりがよくって人気者だった。

でも、どこかいつも肩身の狭そうな様子で、日本にいたくなさそうだった。

その人は、いまはドイツで哲学の勉強をしているらしい。


もしもドイツが素晴らしい居場所になっているなら、本当に嬉しいなあ。

さすが、わたしが最も愛したひと。

たとえひとりぼっちになってしまうとしても、生き方を妥協しない。

あの人こそ、真に美しいひとだと思う。

朝の目覚め。真っ白な天井をみて、ベッドから降りられないあなたのために。

今年は2016年。わたしは27歳になっている。


同い年の友達が2人死んで一年が経った。

先生と助手さんが死んで五年が経った。

父が死んで十年が経った。

わたしが思い描いていた未来の多くは、彼らがいなくなって永遠に手の届かない幻になって消えた。


それでも、わたしはいまでも彼らの夢を見る。

この間も、夢のなかで友達と話をした。
先生とも、父ともよく話をする。

彼らが生きているときに話したかったことや、もっと見ていたかった眼差し、覚えておきたかった仕草…。


それらを夢のなかで追いかけて、わたしは幸せな気持ちになる。


ああ、よかった、みんなまだここにいてくれたのか…。

でも、夢は夢だ。いつかは覚めてしまう。


目が覚めて、わたしの鼓動が大きく一度脈打つ。

目の前には、真っ白な天井が広がっていた。

左に首をかしげた。そこには、いつものわたしの部屋の風景。白い壁に、パソコンと机があって、服がかかっていて、ただそれだけ。

突然、目の前から色が全て消えてしまった気がして、わたしは動けない。


そうか、夢だったんだ。


でも、夢ならまた眠れば会えるかもしれない。

そうだ、また眠ればいい。大好きな彼らのことを考え続けて、ベッドから出ないでこのまま眠ればきっとまた会える。
それでいいじゃないか。会えるのだから…。


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そんな憂鬱な気持ちで目覚めることが増えたのは今年に入ってからだった。

悲しみのリミッターというのは不思議だ。
いままでなんともなかったのに、ある日突然、死んだ人を思って動けなくなってしまうんだから。

それでも、わたしには自分の仕事がある。息子だっている。
どんなにベッドから出たくなくても、起き上がって生きなきゃいけないんだ。


体は無理矢理うごかせても、心がついていかなかった。


「どうにかならないものなんだろうか。」


いつも死んだ人のことばかり考えて、目の前の世界の美しさや喜びに気づけず、わたしは歳をとっていくんだろうか。


とにかく、日々が本当に憂鬱だった。


これから先、自分が死ぬまでは、きっと何人もの大切な人との別れを体験しなくちゃいけない。

わたしの心は、人との別れに慣れるということがない。
こらからも、何度も何度も傷ついて、悲しくなって、目覚めたくないと思うだろう。


だめだ、とても生きていける気がしない…。

 


そんな気分が続いていたある日、また同じように真っ白な天井の部屋で目覚めた。

いつもと変わらない白い壁に、殺風景なものの配置。

だけど、なんとなく、それまでの自分の部屋とは違う気配がした。

「あっ、そうか。光だ。」

長い雨が続いていたあと、久々に晴れた朝だったのだ。

窓から差し込んだ朝日が、向かいの白壁に反射して和らかく部屋を包み込んでいる気がした。

それをみて、わたしは、なんとなくだけど今日は生きることを許された気持ちになって。

本当に久しぶりに、自分の意志でベッドから立ち上がることができた。

 

それからというもの。

 

わたしは、自分の意志で今日一日を生きるために、たくさんの絵を描いた。

描いたのは、《光を何倍にも増幅させる絵》。


ほんのすこしの朝日でも、絵を通して部屋を何倍も輝かせてくれるような、そんな絵がたくさん必要だった。

思い立ってからは、色々なひとのことを思って描いた。


これは、亡くなった友達2人の魂が宿ってくれるように。

これは、先生とたくさん絵の話ができるように。

これは、湖に沈んでいった助手さんの見た景色をわたしも観られるように…。


そのようにして、1つ1つに祈りの気持ちを込めて描いた。

いつのまにか、わたしの部屋には大小さまざまな絵がびっしりと敷き詰められていた。

 

いつまでもわがままでごめんなさい。


わたしはまだ、この世界のなかであなたたちと生きていたい。

夢のなかだけでは悲しすぎるから、この世界で、どうかわたしと繋がっていてほしい。


だから、その気持ちだけを取り出して、絵に宿した。

「そうか、きっと人間ははるか昔から、こんな気持ちで絵を描いたりものを作ったりしてきたんだ。」


いままで作ってきたもののなかで、これが過去最高の自己満足作品だ。

わたしがわたしのために、

ただ目覚めるその一瞬のわたしのためだけに作った絵。


わたし以外の人には全く価値のないものでもいい。
これは一生、わたしの心を支えるものだから。


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いまや、わたしの部屋は朝になるときらびやかな黄色い光に満たされる。


目が覚めたとき、もういない大切な人たちと挨拶ができるような気がして、毎日あたたかい気持ちでベッドから降りる。


悲しみのあまり動けない人がいたら、
なんでもいい。

なんでもいいから、
自分の大切な《誰か》、《何か》との繋がりを目に見える形で存在させてあげてほしい。


人は頭と心と思い出だけでは生きられない。とてもとても、弱いものだから。

すごくシンプルに、わたしたちはただ、この肉体を持って生きている。

そして、この体は心と繋がって、生きていない人とも繋がっているのだと思うんだ。


どうかそのことを忘れないで。


どんなに辛いことがあっても、真っ白な天井に心を引き裂かれてしまわないように。

 

 

大切な人の笑顔と泣き顔の記憶。

今日は母校である芸大の近くに用事があったので、帰りに夏休みの大学に入ってみた。

 

人がほとんどいなくて、雨の音が気持ちいい。

わたしは絵画を専攻していたので、いつもいた場所は絵画棟というところだ。

絵画棟には、入ってすぐのところに憩いの場的なベンチと机がある。
そこでみんな溜まったり、喋ったり、ご飯食べたり、とにかく色々な思い出が詰まってる場所。

 

なのだが、わたしは大学時代にひどく心を閉ざしていたので、同世代の友達とたむろすることをあまりしなかった。

なので必然的に、このベンチで複数人とワイワイした思い出がない。

あるのは、数少ない、本当にお世話になった先輩との思い出くらいだろうか?
わたしがあんまりにも、いつも大学でポツンとしていたからか、先輩はわたしを見かけると必ず話し相手になってくれていた。

この先輩は、わたし以上に同世代と群れないタイプ。周りからは、相当なカタブツだと思われてたみたい。

 

なぜわたしが、そんな気難しい先輩とお近づきになれたのかというと、同じ予備校で働く同僚だったからである。

たまたま、その先輩が働く予備校に用事があったわたしは、ひょんな流れで「ここで働いてくれませんか?」と彼に頼まれたのだ。

どの程度わたしの能力を見込んでくれていたのか不明だが、自分から必死に売り込まなくとも仕事を貰えたのは嬉しい経験だった。(なにせ、ツテも何もない、初めて訪れる予備校だったから。)

そんなこんなで、わたしたちは一緒に予備校で働くこととなり、仕事の合間に色々な話をした。

 

なかなか、恋愛関係に発展しないで済む男と女、というのは珍しい。(わたしにとっては。)

だから、わたしは彼に恋をしたことはないのだが、ある意味恋人以上に彼のことが大切だった。

大学で会って話をするときは、同僚としてではなく、ただの先輩後輩として自由に会話ができるのも心地よかった。

「ああ、わたし、大学でこんなに幸せな気持ちになれたことなかったな。
友達といても何だか不安で、だからあえて一人でいて、でもどこか孤独で寂しくて。

先輩と偶然に出会うことができて、能力を見込んで雇ってもらえて、こうして大学のベンチで向き合って会話をして。

こんな穏やかな気持ちでいられること。これが幸せってことなのかもしれない。」

言葉にして表したことはなかったけど、わたしはいつも心の中でそう思っていた。


…だからこそ、このベンチには大切な思い出が詰まっている。

最も幸せだったエピソードはこれ。

ある日、わたしと先輩が2人で話をしていたとき、先輩の研究室の先生が偶然通りかかったことがある。

この先生と先輩はとてもとても仲が良かった。正に、運命に導かれて出会った師弟だった。

先生が通り過ぎるとき、先輩が目で挨拶をした。
わたしも軽く会釈をして、先生は研究室のほうへ歩いてゆく。

その最中にふと、一度だけ、先生はわたしたちのほうを振り返った。

そしてまた、黙々と歩いて行った…。


ただこれだけのことなんだけど、
この瞬間が、大学での最も幸福な思い出となった。


なぜなら、この半年ほどあとに先生は事故で亡くなったからだ。

あまりに突然のことに、大学は混乱を極めていた。

そしてもちろん、先生が最も目をかけていた学生である先輩は、先生が残した仕事を片付けるために、このあと何年も奔走することになる。

…わたしが先輩を最後にみたのは、先生と一緒に事故で亡くなった研究室の助手さんのお別れ会のとき。

先輩は会の様子を記録する写真係をしていた。

会場の隅っこで、ずっとずっとカメラを構えて、写真を撮り続ける。
その最中、彼はずっとずっと泣いていた。


これが、わたしがみた先輩の最後の姿。

その後、彼は大学に現れることはなくなった。

「俺が大学で一番仲がいいのはね、先生だよ!」

と、眼を輝かせながら、先生のことを沢山わたしに話してくれた。

先輩にとって、先生はもしかしたら、自分の家族以上に大切な存在だったんじゃないかな。

先生が亡くなって、思い描いていた自分の未来も失って、大学には来なくなって、彼は今なにをしているのか分からない。


もう、先輩の姿を最後にみてから五年が過ぎた。

それでもわたしは、あのベンチでのシュチュエーションをはっきり覚えてる。

目の前にいる先輩の着てる服の材質とか、組んだ指の細さとか、付けていた腕輪とか、そんなことばかりだけど。

だけど肝心の、どんな話をしたのかが、全く思い出せない。

 

そして今日。

小雨が降りしきるなか、わたしはこのベンチに座り、あのときのことを思い出す。

思い出しながら、
「これ以上大切な人が死んでしまう前に、自分が死んじまったほうが数百倍は楽だろうなあ。」
なんて呟いた。

 

大切な人の最後にみた顔は、泣き顔だった。


せめてもう一度、泣いていない顔がみたいと強く思う。

なぜ泣いていない顔がいいかというと、
「笑顔がみたい」というのは、ちょっと高望みがすぎるな、と感じてるから。

いまでも先輩の、先生のことを嬉しそうに語る笑顔が鮮明に思い出せる。

でも、肝心の話の内容は日に日に朧げになって消えてしまいそうだ。


あの時、先輩とわたしはなにを話したのか。

いまでもわたしは、それを思い出そうとベンチで1人、雨の音を聞いている。

 

サンローランとうたかたの日々。そして文学青年の先輩の思い出。

今日は、大好きな映画である【SAINT LAURENT 】をみていました。

 

 

イヴ・サンローランといえば言わずと知れた20世紀後半の天才デザイナー。

 その繊細さゆえに、麻薬に手を出したり愛人を作ったりして、彼はほぼ崩壊していたわけです。

 

『彼が彼でいるために払った代償を、この映画で描きたかった。』

 

この言葉は、DVDの特典のインタビューより。

サンローランが天才ファッションデザイナー、イヴ・サンローランであり続けるためにどれだけの苦悩があったのか。

 

そして、そんな彼を支え続けた恋人の献身的な愛情。そして数々の友の暖かい愛情。 

その描写が非常に美しい。間違いなく名作である。

 

『愛の力が一人の儚い人間の命を活かした。』

 

わたしは、サンローランの人生はその記録なのだと思っている。

 

それにしても、映画のなかのサンローランの退廃的な暮らしが非常に美しいこと!

 なんでだか、わたしはフランス人特有の退廃的な感性に惹かれがち…。

 

そして、今日はもうひとつ作品紹介を。

わたしが好きなフランスの退廃小説です。【うたかたの日々】

 

http://www.amazon.co.jp/dp/4334752209

 愛する妻が肺の病にかかって、どんなに手を尽くしても助けられず死んでいくのを待つだけの物語。

資産家で優雅な暮らしをしていた青年が、妻との束の間の幸せと引き換えに、お金も友人も何もかも失っていく。

 

とても有名な小説ですが、わたしは十代のころに岡崎京子さんの漫画でこのお話に出会いました。

小説を読んだのは、もうすこし後だったかな…。

  

この小説と漫画に関して、ちょっとした青春の思い出がある。

 

わたしが21歳のときのこと。

たまたま友人の紹介で知り合った大学の先輩がいて、『みんなでクリスマスパーティーをしよう!』と、その先輩を含む男女4人でわたしの部屋に集まった。

 

(忘れもしない、2010年の12月24日〜25日、クリスマスイヴからクリスマスの朝にかけてのこと。

 その1日は、魔法にかかったように楽しい1日だった。きっと面子が良かったんだろう。

みんなで鍋をして、お酒をたくさん飲み、最後にコンビニで買ってきたヴイエネッタを切り分けて食べ、そのまんまコタツでごろ寝する。

どこまでも、大学生の堕落したクリスマスパーティーってかんじだった。)

 

部屋に入って早々、映画や文学が好きな先輩はまじまじとわたしの本棚を観ていた。

 

名作ぞろいだな!と嬉しそうに眺めていたら、ふと、彼は『うたかたの日々』の小説と漫画を見つけてこう言った。

 

『僕は、この小説が一番好きなんだよ。ただ、小説が好きすぎて、岡崎京子の漫画は読めてない。』

 

って。

 

薄々気づいてはいたけど、この小説が一番好きという時点で、先輩は相当なロマンチストだ。

 

が、わたしもいわずもがな、かなりのロマンチストなので、彼の趣味には共感するものがあった。

 

それに、会って間もない後輩のわたしに、『うたかたの日々が一番好きな小説だ』とさらっと言える感性は素晴らしいと思ったんだよなあ。

 

いや、むしろ羨ましかった。

 

わたしなんて、この小説が好きだなんて人に言ったら、すごく弱い人間だと思われてしまうのでは…と、変に怯えていたから。

 

きっと、自分のなかのロマンチストで脆い部分を肯定したくなかったのでしょう。

 

だから、わたしは先輩のこの言葉が、6年経った今でもずっと忘れられないんだと思う。

 

この先輩は、数ヶ月後にヨーロッパの大学に入学することが決まっていた。

だからか、連絡先も交換しなかったし、その後はあまり会うこともなかった。

 

今思えば、わたしは彼のことがとても愛おしかった。

何よりも、自分の好きなものを素直に好きと言える勇気が愛おしい。そして繊細な自分の感性を大事に育てているところが好きだった。

(…というより、なんだか可愛いな、この人。と思っていたかもしれない。)

 

ヨーロッパに行くことが決まってなかったら、きっとわたしたちはもっと仲良くなれてたろうになあ…なんて、いまだに夢想することがある。

 

いまはどこにいるんだろう?

彼はずっとヨーロッパって活動したいって言っていた。その夢は叶っているのだろうか?

 

だとしたら、もう日本で会うことはほとんどないだろう。

けれど、それはそれでお互いに幸せなこと。喜ぶべきこと。祝福すべきこと。

 

ふとしたときに、心の中に暖かく広がる思い出の人がいるのは幸福なことだ。

 

会った回数なんて片手で数えられるくらいしかなかった、わたしの愛おしい先輩。

 

文学青年のあなたが、どこかで絵を描いている姿をわたしはずっと思い描いています。

 

生きてるうちにもう一度会えたら、きっと嬉しすぎて変なこと言ってしまうかもしれないけど…。

 それは高望みが過ぎると思うので、ただ先輩の幸せを願っています。

 

(こんなふうに時空を越えて愛されていることを知ったら、ロマンチストなあなたはきっと喜んでくれるんじゃないかな。)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「投薬治療をするってのは、このクソみたいな世界でどうにか生き抜くために薬物中毒になることなんだ」

最近、ちょっとだけ食べ物を口にしただけなのにグワーっとだるくなってぶっ倒れそうになる。

もしや、これって低血糖症ってやつだろうか?

食べたら食べたで仕事にならないし、かといって食べなければ死ぬので、困っている。

 

めまい、動機、不整脈、手の震え、幻聴、あとは夕方過ぎると喉が締められてるみたいに苦しい、などの症状がある。

 

冷静に不調を並べると、ものすごい病人感あるなあ。

 

でも、十代のころから幻聴が聞こえるのは当たり前だったので、それ自体になんの問題があるのか分からない。

 

わたしは長いこと、不調と程よく共存してきてしまった。

よって、自分が病人だと思ったことも一度もないのです。

 

…いままで、投薬治療によって薬に振り回されている友人知人、元恋人などの姿をたくさん見てきました。

 

その経験から、わたしは医者に処方箋を出してもらって薬をもらうことに不信感があるのです。

 

 

精神疾患や自律神経の治療はほんとうに難しい。

 

だって、薬で完治するのは患者の1パーセントしかいないというのだから。

わたしの家族にも30年鬱病の人がいるが、ずっとずっと入退院を繰り返していて、常に現状維持が精一杯。

 

 

だからと言って、投薬治療を全否定しているわけでもない。

 

薬で制御しなきゃ、人を殺してしまう患者がいるのも1つの事実。

精神薬が無くては生きていけない人が沢山いるのは、それなりに理解しているつもり。

 

 

投薬治療をはじめると、たいていの人がアイデンティティのことで思い悩むようになる。

 

自分の感情が薬によって制御されてることで、自分の意思を見失ってしまうのだ。

それがどれほど苦痛で不安なことか、想像しただけでも胸が痛い。

 

そして、それを側でみている家族や友人もまた、とてもとても苦しいんだ。

 

 

わたしの家族…。

30年間鬱病と闘い続けている家族をみているといつも思う。

 

「投薬治療をするってのは、このクソみたいな世界でどうにか生き抜くために薬物中毒になることなんだ。」

 

って。

 

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わたしの父は家族の不仲からくる不摂生な食生活が原因で40代で末期ガンになって死んだ。

 

今でも鮮明に思い出せる。

抗がん剤を打っては、激しい苦痛のなか闘病する彼の姿を。

 

それはさながら拷問のようだった。

 

 

 

だからわたしは父に、

「ガンで死ぬのは死に方として悪くないから早く死んでいいんだよ。」

と言った。

 

そしたら父は本当に、翌日亡くなった。

 

もう10年以上前のことだ。

にも関わらず、わたしは、もっと早くこの言葉を父に言ってあげるべきだったと後悔している。

 

そしたら、大切な大切な家族にあんな苦しい闘病生活を強いることなく逝かせてあげることができたのだから。

 

 

思春期の頃に直面した父の闘病生活。

 

そのおかげで、わたしは投薬を介して他人にコントロールされて生きることに嫌悪感を抱くようになった。

 

そして、「わたしは自分の意思で死ぬ時期を決めたい。」と思うタイプの人間になった。

 

 

だからと言って、命を粗末にするつもりは毛頭ない。

 

わたしはただ、神から預かった命をできる限り美しい状態でお返ししたい、と思っているだけだ。

 

そして、どんなにこの世の中がクソであったとしても、

 

芸術や自然の中の《美》に対して圧倒的な信頼感があるからわたしは生きていける。

 

今日も、美しい自然と美しい芸術に感謝。

 

色々しんどい時期もあるけれど、なんとか、自分の理想の世界を自ら稼いだお金で実現できる大人になった自分は好きだ。

 

今日まで生かしてくださったわたしの中の神さまにも、心からの感謝を。