愛の所在

人間にとって、『美』は『生きていていいという承認』なのかもしれない。

ならば『美術』は、『生きることを承認するための術』なのだろうか。

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植物を見ているといつも羨ましい気持ちになる。

ただ与えられた場所で生まれ、ただ太陽に向かって懸命に生き、時がくれば何も傷つけることなく姿を消していく。

 

わたしは、神様に『来世は植物に生まれさせてください。』といつも祈って眠っている。

 

わたしが幸福感を感じるときは、

①植物の絵を描いてるとき
②仕事してるとき

であり、逆にネガティヴになるのは

①家族といるとき
②大勢のひとと一緒にいるとき

です。

  

精神的なストレスがマックスになるとわたしは不整脈になるみたいで、つい半月前くらいはしょっちゅう心臓が不規則に動いててこのまま死ぬんかなと思っていた。

ある程度夫にぶっちゃけて、いまは大丈夫だけど。

わたしにとって夫というのは、ただ単に愛してるから一緒にいるのではない。

わたしの人生に必要だと、本能的に判断したから愛している。

 

夫はとても真面目で責任感が強く理性的な人間だ。

 

だからわたしにもそれを求めてくるし、多かれ少なかれ、わたしにもそのような気質を感じ取ったから結婚したのだろう。

 

たが、この間夫にはっきりと、

 

『きみが本当に信用に値する人間なのか分からなくなってきた。

でも、僕はきみと成長していきたいと思っているので、きみの心身や行動が未熟なら僕の責任でもある。』

 

と言われたのだ。

 

わたしは、傷つくのを通り越して憤っていた。

 

あくまでも、わたしと夫は別々の人間だ。

わたしがどこで何をしようが、たとえ誰を傷つけ誰に傷つけられようが、それはわたしの問題であり彼の責任なんかではない。

 

こんなに近しい関係を求められるなんてあまりにも苦しすぎる、と、本能的に思ってしまったのだ。

 

そして最後に、もっとも衝撃を受けた夫の一言。

 

『正直、愛というものを僕はよくわかっていないんだよ。本当にあるのかな?』

 

わたしは、愛というのはこの世の何よりもはじめに存在しているものであり、そこからありとあらゆるものごとが生まれたと信じて疑ったことがない。

 

わたしの世界にはまず愛があった。

その世界のなかでわたしは夫を愛したのだ。

 

だが、一方で夫の世界には愛なんてないのかもしれないのだ。