暴力を芸術に昇華するという愛情。

世の中には、『特定の誰か』を愛することができない心の持ち主がいる。

 

そんな人は、他人を暴力で傷つけてしまいそうな自分を恐れていて、どうにか暴力以外でその衝動を押さえ込んで生きている。

それが、例えば絵を描くことだったりする。

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わたしの周りには、膨大な狂気を絵に昇華することでなんとか人間性を保っている人が何人かいる。

 

その中でも飛び抜けて個性的な絵を描いていた同い年の友人が、大学時代にいた。

 

学校で会えば他愛もない話をしたし、わたしが学外で展示をしたときははるばる訪れてもくれた。

 

柔和で穏やかで親切で、誰にでも優しい。

彼と会ったことがある人はみなそんな印象を持ったと思う。

そしてみんなが、そんな彼の人柄と絵に魅了されていた。

 

彼本人に聞いた話だが、どうやら自分から人を好きになったことはないそうだ。

 

『なるほど、誰のことも好きにならないから、誰にでも優しいのね。』

 

と、わたしは驚きもせずただ納得してその話を聞いていた。

 

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そして彼は25歳の夏に海で亡くなった。

 

わたしはその知らせを聞いて、心底動揺したし、本当にショックだった。

 

別に彼が誰のことも好きにならない人間であったとしても、そんなことお構いなく、わたしは彼のことがとても好きだった。

 

…その一方で、わたしの夫は彼の絵も、彼自身のことも嫌悪していた。

 

『あいつの絵には暴力性が詰まってる。彼は人間を人間としてみてないよ。

暴力を振るいたがってるのが分かるから嫌なんだ。』

 

夫はわたしが彼に好意を寄せていることに嫉妬していたそうだ。

だから余計に、嫌悪の感情に火がついたのだろうか…

 

彼が亡くなったときにはわたしの悲しみなどお構いなく、彼を貶めるような言葉を平然と吐いていた。

 

わたしは、夫のその言葉がいまだに許せない。

もう一年以上前のことなのに、大切な友人を侮辱されたようでずっと腸が煮えくり返っている。

 

夫は、彼が暴力性を抱えている人間だから何を言っても良いと思ったのだろうか?

 

わたしは彼から暴力をうけたことなんて一度たりともないのに、

夫は彼の暴力性を理由に、わたしの心に暴力をふるった…。

 

わたしはただ、彼を失った悲しみを純粋な悲しみとして夫に受け入れて欲しかった。

 

『大切な友達がいなくなって、寂しいね。』

 

と、ただ抱きしめてもらいたかった。

 

これだから嫉妬は恐ろしい。

 

まだ誰にも暴力を振るっていない人間を、『暴力をふるう可能性があるから』という理由で責めるのだから。

 

そして結果的には、最愛の妻であるわたしを傷つけているのだ。

 

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最後に、彼が『誰のことも好きになったことがない』と言っていたことについて触れておきたい。

 

誰のことも愛せないというのは、わたしの夫にしてみれば暴力性ということになり、とにかく非人間的で好ましくない状態のことらしい。

 

だけど、彼は本当に誰のことも愛していなかった?

 

いや、そんなことない。

 

彼はたしかに、特定の誰かを好きになることはなかったし、底知れぬ暴力性を秘めていたかもしれない。

 

でも、彼が絵を描くことでその衝動を他人に向けないで済むようにしていたこと自体、万人に向けての愛じゃないか!

 

だからみんな彼のことが好きだったんだ。

 

狂気を狂気のままにせず、芸術に昇華して自分も周りの人も守ろうとするその優しさを、みんな感じていたでしょう?

 

そして、彼は最後まで誰に暴力をふるうことなく亡くなっていった。

 

近いうちに、彼が亡くなった瀬戸内の海へ行って彼のために祈りたい。

 

私の親愛なる友人へ。

 

あなたから受け取った愛は計り知れない。

わたしはあなたから、どんな人間に生まれついても人を愛するということを諦めない気高さを教わった。

 

一緒に過ごせた数少ない日々のこと、あなたのいつも変わらぬ笑顔、綺麗な眼、謙虚な話し方。

 

その全てをわたしは忘れないよ。

 

だからどうか、今はただ安らかに。