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大切な人の笑顔と泣き顔の記憶。

今日は母校である芸大の近くに用事があったので、帰りに夏休みの大学に入ってみた。

 

人がほとんどいなくて、雨の音が気持ちいい。

わたしは絵画を専攻していたので、いつもいた場所は絵画棟というところだ。

絵画棟には、入ってすぐのところに憩いの場的なベンチと机がある。
そこでみんな溜まったり、喋ったり、ご飯食べたり、とにかく色々な思い出が詰まってる場所。

 

なのだが、わたしは大学時代にひどく心を閉ざしていたので、同世代の友達とたむろすることをあまりしなかった。

なので必然的に、このベンチで複数人とワイワイした思い出がない。

あるのは、数少ない、本当にお世話になった先輩との思い出くらいだろうか?
わたしがあんまりにも、いつも大学でポツンとしていたからか、先輩はわたしを見かけると必ず話し相手になってくれていた。

この先輩は、わたし以上に同世代と群れないタイプ。周りからは、相当なカタブツだと思われてたみたい。

 

なぜわたしが、そんな気難しい先輩とお近づきになれたのかというと、同じ予備校で働く同僚だったからである。

たまたま、その先輩が働く予備校に用事があったわたしは、ひょんな流れで「ここで働いてくれませんか?」と彼に頼まれたのだ。

どの程度わたしの能力を見込んでくれていたのか不明だが、自分から必死に売り込まなくとも仕事を貰えたのは嬉しい経験だった。(なにせ、ツテも何もない、初めて訪れる予備校だったから。)

そんなこんなで、わたしたちは一緒に予備校で働くこととなり、仕事の合間に色々な話をした。

 

なかなか、恋愛関係に発展しないで済む男と女、というのは珍しい。(わたしにとっては。)

だから、わたしは彼に恋をしたことはないのだが、ある意味恋人以上に彼のことが大切だった。

大学で会って話をするときは、同僚としてではなく、ただの先輩後輩として自由に会話ができるのも心地よかった。

「ああ、わたし、大学でこんなに幸せな気持ちになれたことなかったな。
友達といても何だか不安で、だからあえて一人でいて、でもどこか孤独で寂しくて。

先輩と偶然に出会うことができて、能力を見込んで雇ってもらえて、こうして大学のベンチで向き合って会話をして。

こんな穏やかな気持ちでいられること。これが幸せってことなのかもしれない。」

言葉にして表したことはなかったけど、わたしはいつも心の中でそう思っていた。


…だからこそ、このベンチには大切な思い出が詰まっている。

最も幸せだったエピソードはこれ。

ある日、わたしと先輩が2人で話をしていたとき、先輩の研究室の先生が偶然通りかかったことがある。

この先生と先輩はとてもとても仲が良かった。正に、運命に導かれて出会った師弟だった。

先生が通り過ぎるとき、先輩が目で挨拶をした。
わたしも軽く会釈をして、先生は研究室のほうへ歩いてゆく。

その最中にふと、一度だけ、先生はわたしたちのほうを振り返った。

そしてまた、黙々と歩いて行った…。


ただこれだけのことなんだけど、
この瞬間が、大学での最も幸福な思い出となった。


なぜなら、この半年ほどあとに先生は事故で亡くなったからだ。

あまりに突然のことに、大学は混乱を極めていた。

そしてもちろん、先生が最も目をかけていた学生である先輩は、先生が残した仕事を片付けるために、このあと何年も奔走することになる。

…わたしが先輩を最後にみたのは、先生と一緒に事故で亡くなった研究室の助手さんのお別れ会のとき。

先輩は会の様子を記録する写真係をしていた。

会場の隅っこで、ずっとずっとカメラを構えて、写真を撮り続ける。
その最中、彼はずっとずっと泣いていた。


これが、わたしがみた先輩の最後の姿。

その後、彼は大学に現れることはなくなった。

「俺が大学で一番仲がいいのはね、先生だよ!」

と、眼を輝かせながら、先生のことを沢山わたしに話してくれた。

先輩にとって、先生はもしかしたら、自分の家族以上に大切な存在だったんじゃないかな。

先生が亡くなって、思い描いていた自分の未来も失って、大学には来なくなって、彼は今なにをしているのか分からない。


もう、先輩の姿を最後にみてから五年が過ぎた。

それでもわたしは、あのベンチでのシュチュエーションをはっきり覚えてる。

目の前にいる先輩の着てる服の材質とか、組んだ指の細さとか、付けていた腕輪とか、そんなことばかりだけど。

だけど肝心の、どんな話をしたのかが、全く思い出せない。

 

そして今日。

小雨が降りしきるなか、わたしはこのベンチに座り、あのときのことを思い出す。

思い出しながら、
「これ以上大切な人が死んでしまう前に、自分が死んじまったほうが数百倍は楽だろうなあ。」
なんて呟いた。

 

大切な人の最後にみた顔は、泣き顔だった。


せめてもう一度、泣いていない顔がみたいと強く思う。

なぜ泣いていない顔がいいかというと、
「笑顔がみたい」というのは、ちょっと高望みがすぎるな、と感じてるから。

いまでも先輩の、先生のことを嬉しそうに語る笑顔が鮮明に思い出せる。

でも、肝心の話の内容は日に日に朧げになって消えてしまいそうだ。


あの時、先輩とわたしはなにを話したのか。

いまでもわたしは、それを思い出そうとベンチで1人、雨の音を聞いている。