自分の体に病名がついて。

 

ここ数ヶ月、ずっと体調が悪くておかしいなと思ってた。

 

やけに喉が渇いたり、暑さに弱かったり、喉が締め付けられるように苦しかったり、手足が震えてものを落としたり。

 

今日、病院で詳しく検査をしたら、バセドウ病と診断された。

 

特に入院が必要なわけでも、手術が必要なわけでもないから幸いだった。

明日、改めて分泌内科へ行き、薬を出してもらうことになった。

 

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もともとアレルギー持ちで産まれた子供だったため、免疫不全の病気になるのはある程度予想の範疇だった。

 

だけどその一方で、ここ数年さいなまれ続けていた対人関係のストレスが顕在化した結果であろうことも認めなくちゃいけなかった。

 

人と関わる上での責任

 

配偶者としての責任

 

親としての責任

 

責任という言葉に追いかけられて生きる日々。

 

 

身内を大切にしようと思えば外界との接点が薄まり自分の居場所を失い

 

他人を大切にしようと思えば真意をうまく伝えられず身内にせめられる

 

 

わたしの2年間はこの相反する現実と葛藤する時間だった。

 

 

 

人を言葉で傷つける人はたいてい臆病で弱い。

 

そして気がつけばわたしの近しい人たちはみな臆病で弱かった。

 

それはきっと、わたし自身の臆病さと弱さが映し鏡のように見えている結果に過ぎないだろう。

 

 

自分の弱さに耐えかねて人に甘え

他人の弱さに耐えかねてまた別の人に甘え

 

 

弱さを克服できない自分は自分らしくない。

 

それとも、こうやって弱さの中でふわふわ泳いでいる自分こそ自分なのか。

 

 

少なくとも、わたしは家族の弱さを目の当たりにして本当に苦しかった。

 

 

だけど、他人の弱さに苦しめられるのは自分が弱いからだし、

どうせわたしは死ぬまで弱さと決別できないのだろうから仕方がない。

 

今はもっといい加減に

何が正しいと決めつけずに浮遊して

何人も断罪せずに生きていたい。

 

別に誰に断罪されて罵られようと構わないし、わたし自身がだれかに悪人呼ばわりされることなど全く怖くない。

 

わたしが真に恐れているのは、

考えることを放棄して一個人を責め、つかの間の正義感を満たしてのうのうと生きる自分自身の姿だから。

 

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こんなふうにつべこべ考える必要もないくらい、わたしが欲しい現実などただ一つしなかないのだけれど…

 

ああ、

生きている間のたった一日だけでもいい。

 

何人も否定せず、愛しいひとをどこまでも真っ直ぐに愛したい。